明治後期〜大正時代の特殊教育
明治20〜30年代は学校教育の普及期。明治23年の改正小学校令は、義務教育を定めたものですが、同時に私立学校の設置を認めたため、私立の盲唖学校が各地に開設されるようになった。 |
明治20年(1887) | |
10・5 | 訓盲唖院は「京都市立盲唖院」と改称 |
明治23年(1890) | |
4・1 | ![]() |
10・6 | ![]() これにより私立の盲唖学校が各地に開設されるようになった。 |
11・1 | 東京盲唖学校は、点字撰定会で石川倉次案を採用(日本訓盲点字が開発される) |
明治24年(1891) | |
11・17 | 「幼稚園図書館盲唖学校其他小学校ニ類スル各種学校及私立小学校等ニ関スル規則」制定(初めて盲唖学校教員の資格任用等について規定) |
12・1 | 石井亮一は孤女教育施設「聖三一孤女学院」を創設(最初の知的障害児施設、後の「滝乃川学園」) セガンの方法を基礎として指導した。 |
明治26年(1893) | 東京盲唖学校は、アメリカから点字印刷機を購入 |
明治28年(1894) | |
28.10 | 私立函館訓盲会を創設(アメリカ人、シャロッテ・ピソクニィ・ドレイバーによって創設され、マイラ・エニード・ヘブン・ドレバーが指導にあたり、函館訓盲会と称す) |
北盲学校(札幌)を創立(大沢銀之進、明治36年閉校) | |
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明治29年(1896) | |
4・1 | 長野県長野尋常小学校に「晩熟生学級」を設置 |
明治30年(1897) | |
3・15 | 「学制生徒身体検査規定」制定 |
明治31年(1898) | |
11・12 | グラハム・ベルが来日し、聾教育について各地で講演 |
明治32年(1899) | |
7・21 | 小西信八は、盲・聾分離についての意見書を文部大臣に提出 |
明治33年(1900) | |
8・20 | 「小学校令」改正(就学義務の免除猶予及び盲唖学校の小学校附設について規定 同法三十三条−就学猶予・免除規定(小学校の就学率は90%に達した) |
8・− | 東京市神田区内の小学校は、府下馬込村で休暇集落を実施 |
明治34年(1901) | |
4・22 | 石川倉次翻案の「日本訓盲点字」が官報に掲載 |
34.4 | 私立函館訓盲会を私立函館訓盲院と改称/ワドマン院長就任する |
明治35年(1902) | |
12・27 | 石川重幸著「盲人教育」刊行 |
私立函館訓盲院に唖生部を設置 | |
明治36年(1903) | |
2・10 | 京都市立盲唖院編纂「盲唖教育論」刊行(同書の付録は「瞽盲社会史」) |
3・6 | 「東京盲唖学校教員練習科卒業生服務規則」制定 |
3・10 | 東京盲唖学校に教員練習科を設置 |
3・26 | 伊沢修二は「楽石社」を設立 |
4.1 | 唖生部を併置する。 |
明治37年(1904) | |
37.5.10 | 小林運平・聴覚障害児の指導を始める |
明治38年(1905) | 鈴木治太郎は大阪府師範学校付属小学校に「教育治療室」を設置 |
38.10.7 | 盲唖私塾(小林運平氏、小樽信香町の下宿に盲唖私塾を開設) |
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明治39年(1906) | 全国の盲唖学校が、国公立2校、私立31校となる。 |
4・1 | 群馬県館林尋常小学校に特別な学級を設置 |
10・13 | 「第1回全国聾唖大会」が開催され、聾唖教育奨励案を決議 |
10・23 | 東京・京都・大阪の三盲唖学校長が、府県立の盲・聾唖学校の設置 準則について文部大臣に建議(盲唖学校の義務制と盲唖教育の分離等) |
39.6.3 | 私立小樽盲唖学校を創設(小林運平氏)![]() |
知的障害児への本格的な保護・教育施設の最初、石川亮一により東京府北豊島郡に「滝乃川学園」開設石川亮一 | |
明治40年(1907) | |
3・21 | 「小学校令」改正(義務教育年限が六ヶ年に延長) |
4・17 | 文部省は各府県師範学校の付属小学校に盲人・唖人・心身不完全な児童のためできるだけ特別学級を設けるように訓令 |
5・11 |
「第一回全国盲唖学校教員会」が東京盲唖学校で開催され、盲唖教育令の公布・盲唖教育義務制及び盲唖教育の分離等を文部大臣に建議
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この年、乙竹岩造は帝国教育会主催講演会で「低能児教育法」を講演。岩手などの師範学校付属小学校に「劣等児学級」を設置。徳島などの師範学校付属小学校に「盲唖学級」を設置
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北海道師範学校附属小学校で聾児の特別指導を開始 | |
明治42年(1909) | |
4・6 | 「東京盲学校」設置 |
私立小樽盲唖学校財団法人となる | |
京都「白川学園」開設 | |
明治43年(1910) | |
4・1 | 東京盲唖学校を廃し「東京聾唖学校」を設置 |
10・14 | 文部省は「訓盲楽譜」を刊行 |
11・15 | 「東京盲学校規程」「東京聾唖学校規程」制定 (東京盲唖学校時代の教員練習科を改め、師範科を置く) |
11・15 | 「東京盲学校 東京聾唖学校師範科卒業者服務規則」制定 ((この年、日本盲人協会は点字図書(教科書等)を刊行) |
北海道師範学校代用附属円山小学校に複式補助学級を設置 | |
恒常的な養護・教育施設の最初、千葉県勝山に開設(東京市養育院安房分院) | |
明治44年(1911) | 岸高式盲人そろばん考案 |
伊沢修二が、手話を口話に転換させるため、手話の禁止を訴える | |
全国盲唖教育大会が開始 | |
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明治45年(1912) | 明治45年=大正元年(1912) |
盲学校等の数は、57校 | |
5・25 | 東京盲学校は「内外盲人教育」を創刊 |
7・25 | 文部省は「第一回盲唖学校教員講習会」を開催 |
45.4.1 | 私立函館訓盲院を私立函館盲唖院と改称 |
大正2年(1913) | |
11・20 | 文部省は「古川氏盲唖教育法」を刊行 |
大正3年(1914) | |
8・1 | 日本赤十字社は夏期児童保養所を開設 |
11・15 | 文部省は「第一回学校衛生講習会」を開催(学校医を対象) |
大正5年(1916) | |
大阪「桃花塾」設立 | |
大正6年(1917) | |
8・1 | 社団法人白十字会は「林間学校」を創設(最初の常設虚弱児施設)神奈川県茅ヶ崎 |
大正7年(1918) | |
7・7 | 東京盲学校は「訓盲箏譜入門」を刊行 |
高木憲次が治療と学校教育と職業教育を行う「夢の楽園教療所」の実現を唱えていた | |
大正8年(1919) | |
12・1 | 文部省は「第1回全国盲唖学校長会」を開催 |
大正9年(1920) | |
4・− | 「日本聾話学校」創設(口話法による最初の聾学校) |
11・29 | 「帝国盲教育会」結成 |
大正10年(1921) | |
4・1 | 帝国盲教育会は「帝国盲教育」を創刊 |
5・1 | 柏倉松蔵は「柏学園」を創設(最初の肢体不自由児療育施設) |
5・11 | 大阪毎日新聞社は「点字大阪毎日」を創刊 |
大正11年(1922) | |
11.6.11 | 私立旭川盲唖学校 創立 (南雲総次郎氏) |
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小林卯三郎ら点字の国定教科書を刊行 | |
盲学校等の数は78校 |